(1) 手紙とはこんなもの

私たちが自分の考えていることを相手の人に伝えるためには、先ず言葉がある。その言葉というものは今からざっと、三、四万年前、それはまったく未開時代に起りそれからだんだんに発達しそして今日のようなものになったのである。

ところで相手が遠く離れている場合、自分の声が届かない場所にいる場合にはどうするか、その言葉を文字にあらわし文章に綴って、その文章を相手に読ませればよいということになる。文字や文章はまことに便利にして重宝なものであるが、さて言葉の代りに文字を書き文章を綴るとなると、これがなかなかそう簡単にはいかないというのが事実で、そこにいろいろ工夫もあり研究も必要になってくるのである。

もっともたとえば恋をする人に思いのたけを切々綿々と述べる段になると、言葉では面と向うだけに固くなってしまって思うようにいかないが、文章でなら何でも言い表せるという場合もあるかも知れない。恋の告白、言葉か文章か、間題はいよいよ面白くなってくる。
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そこで、私たちの日常生活に一番必要な手紙について少し考えて見る。先ず順序として手紙とはどういうものか、手紙の意義について。これはすでに述べたことで既にわかっていると思うが、手紙は要するに「郵送(メール)される談話、」である。こちらの用向きなり、気持ちなり、考えていることなどを、文字にあらわし文章に綴って相手に伝えるもの、それが手紙というものである。

ところで文章にも実用文と趣味的な文学的な文章があるように、手紙にも実用文と趣味の文があるが、何といっても手紙の大部分は用向きの手紙、すなわち実用手紙であるといってよいと思う。

今はむかしの物語。数名の白人がアフリカの奥地へ探険に行き、そこで現地人を使って仕事を始めたが、いうまでもなく、文明の利器など何一つない不便な場所で、一行は川をはさんで仕事をしていたのだった。

ところである日のこと、一人の白人がふと足もとの木切れを拾い上げ、それへ鉛筆で何か記し、それを現地人に渡しながら

「この木切れを川の向うにいる僕の友人に渡して来なさい。鋸と飲料水の瓶とマッチを渡してくれるから」

と現地語で指示したのだった。現地人は不思議そうな顔をして、その木切れを持って行ったが、やがてその通りの品物を抱え、びっくりして戻って来た。現地人にして見ればまことに奇妙な経験だったに違いない。

木片を渡しただけで何も言わないのに、ちゃんと品物を渡してくれたのだから、自分の主人は魔法使いだと思いこんでしまった。木片にものをいわせた白人は、たしかにえらい人だと考えたに違いない、それからというもの非常におとなしくなり一層よく働くようになったという。一片の木切れに鉛筆で走り書したもの、これは立派に手紙としての役割を果したわけである。

誰でも文字の書けるほどの人なら、時と処とを問わず、どんなに遠く離れている人にも通信が出来る最も一般的で便利なもの、それが手紙というものだが、しかし手紙はわずかハガキ一枚の短いものでもそれによって自分の教養の程度や品位を相手に評価されてしまうので、こう考えて見ると、やさしいようでなかなかむずかしいもの、それが手紙の書き方で、このむずかしさは、つまり文章のむずかしさと、手紙には手紙としてのいろいろな約束事があるからである。

あまり失礼な手紙を書いたり、軽率で不注意な手紙を書けば、人柄もそのままに感じられて初めての人や、めったに会わない人の場合には、それがいつまでも悪い印象となって世渡りをしてゆく上にどんなに損をするかわからない。またその反対に、要領のいい、生き生きした手紙を出したとすれば、まだ会わない先から好い印彖となり、その後の交際は円満に進んで、思わぬ幸福をまねく端緒ともなる場合もあるから、

手紙を書くのにも慎重にやらなければならない。ことに手紙は直接の談話とちがい瞬間的に消えてしまうものではなく、いつまでも後に残るものであり、ある場合には証拠文書として保存されるので、私どもが社会生活を営んでゆく上に、このように重要な使命をもっているという点に、実は手紙の意義の深さがあるということも考えなければならない。

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