(2) 手紙上手は成功のもと

私たちが先ず手紙を書こうと思い立つ場合は、必ず何か先方にハッキリわかるように伝えたいことがあるからなのである。

相手にものをたのむとか品物を注文するとか、何かを報告するとか、返事をするとか、つまり人間社会の交際とか業務上のこととか、いわばぎりぎりに迫まられてすることが多い。であるからこの実用手紙文は魔法の呪文のように一語の無駄もなく簡単に要領よく綴ることが大切で、文章も無論上手なのに越したことはないが、それよりも用件をハッキリ短く記すことの方が一層重要である。これを心に入れて誠意をもって書けば自分の意思を十分に先方に伝えることが出来るわけである。

「むだ口だけは一人前以上にきくが、今の若い者は手紙一本もロクに書けやしない」というようなことを世間ではよくいう。実際に学校は出るが社会事情のためにアルバイトをやっている青年男女も多くいて、非常に商売ずれがしていて、いやにずうずうしいところもあり、しゃべることは数人前もの能力をそなえていながら、文字や文章を書かせるとまったく昔の小学生ほどにも逹していない。

というようなこともよくきく。どれもいく分の皮肉や誇張もまじっているが、しかし必ずしも全然見当違いの言葉でもないようである。

修養というと言葉をきいただけでも変に古くさい感じがするかも知れないが、文字を習ったり文章の道を学ぶことは実は人間完成への最も近い道である。そしてその一番具体的で手近な方法は、手紙を書くということである。損得といえばわかりがいいであろう、そのように功利的に考えても自分の利害を左右するものは、立派な手紙が書けるか書けないかによってきまるといっても少しもいい過ぎではない。

今の私どもの周囲の生活はあまりにも文字と離れすぎている。人間が万物の霊長といわれ、ことには言葉も文字も人間だけがもっている「たからもの」であり、これによりすぐれた文化生活を営んでゆくためには、どうしても文字や文章を十分に身につけることが必要ではないであろうか。

社会に出て働くにともない文字や文章に対する自覚の程度を高めてゆく必要が深まってくる。いかに頭髪を光らせ洋服や靴に大金をかけても、中身がまるっきりカラッポでは社会の落伍者となるは必定。ことに役所や企業に身を置いて成功しようとする人々には日常の文章つまり手紙文の上達が必須のこととなる。

手紙が上手だとか、あるいはまた面倒がらずに丹念に手紙を書きつづけたために成功した人は過去には限りなくいる、しかしこれは今日以後も同じこと、人間が感情をもっている限りは精神的にも技術的にも、手紙の活用は成功の秘訣である。

手紙が社会生活上いかに必要なものであるかということがわかれば、その方法、技術を学ぶことは、他の学問と同じように軽視してはならない。人を訪問したり旅行して用事をはたすことを考えたならば、一本の手紙、一葉のハガキでこと足りる便利さが身にしむはずで、そのためにはいくら念入りに文字や文章を考えて書いたとしても、そういうことは一向に苦にならないわけである。

文章が上手ならば、手紙などはいとやすいと考えがちであるが、文章の巧者、必ずしも手紙上手とは限らない。手紙文というものはいくら真実を誠意をもって書けばよいといっても、それだけでは完全ではなくやはり手紙文には、手紙文独特の形とその上達法とがある。けれどもこれは決してむずかしいことではない、ある種の法式、いわば一つのコッを覚えてしまえばそれでよろしい。そのコッを身につけてしまい、そのコッを十分に思うままに駆使して、それに自分のもつ真実をうちつけてゆく、それでいいのである。

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