(1) 持味を生かした楽しい手紙

手紙を書く上での心構えは何かと問われるならば、いろいろあるけれども、これを詮じつめてくると結局は次の五つに要約することが出来る。

一、『思い立ったらすぐに書くこと。
二、書く以上は誠心誠意、相手の心に食いこむように書くこと、(決して嘘は書かないこと)。
三、文字は正しく、文章は平易に、簡潔に書くこと。
四、秩序、礼法を誤まらぬよう、特に必ず読み返しをすること。
五、病気とか多忙とかで止むを得ぬ場合でない限り、必ず自筆で書くこと。

右の5項目は何れも大切な心構えに違いないが、中でも最も主眼とするところは第二項である。手紙は自分の心の姿を相手に映すものであるから偽らず飾らず自分の真心をありのままに表現することが第一義である。心情を吐露した手紙は必ず相手の心を衝いて感動させるが、虚偽や誇張した文章はそれがいかに立派に書かれていても決して人を動かしはしない、だから手紙を書くにも自分の真心をありのままに素直に表現すること、これが何より大切なのである。

上手に書こう、笑われないように書こう、などと考えていたらかえってかたくなってしまって、なかなか書けるものではない。そこでできることなら、いろいろな人の文章を読み、機会を見ては書く練習をすることである。そのうちには自然に何の苦もなく思うようにかけるようになる。すらすら書ければそこに面白味も出て、人格があらわれた立派な手紙がいつでも即座につくれる。その結果は人との交りも円滑にゆき、お互いに楽しく人生への希望も豊富になってくること当然である。

さて実用文といっても必ずしも用向きだけでなく、そこに適当な文学的修辞をまじえて含みの深い文章をつくることも出来る。出来ることなら、文章の中にその作者の心のゆとりと高い品性のあらわれが欲しいものである。ここで言葉の品位ということについて一言する必要が出てきたわけである。上品な言葉を使えば自然上品な人のように見えるし、その反対に下品な言葉を使えば自ら下品に思われる。

これは言葉は心の姿であり、心の鏡で、目に見えぬ心が言葉となって外に現れるからである。だから実は上品な言葉を使えば上品な人のように見えるというのは少し変ないい方なのであって、ほんとうは上品な人だから上品な言葉が出るのである。勿論上品な言葉を使うように平常からそういう心がけでいることも大切で、いつかはいわゆる「ならい性となる」からであるが、その根本は人格をきたえ上げ、高い品性の持主となるように修養を積むことである。このことは文章とか手紙とかいうだけの問題ではないけれども。

昔の人の書いた文章や手紙文には実に何ともいえない気品と、功妙な文字の配置が感じられるのがある。それがが文章の規格をはずしたようなものに却って多く見られるが、このようなことは誰にでも出来るというものでなく、真似て真似られるものでもない。それは自然にその人の持ち味、風格が沁み出てくるからである。しかし又、誰にもそれぞれにその人の持ち味というものはあるので、お互いにその持ち味を大切に育ててゆくべきだと考えられる。

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