(2) 日蓮、芭蕉、紅葉、漱石

「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」

徳川家の家臣、本多作左衛門が陣中から留守宅に送ったと伝えられる有名な短い手紙文である。これはまったく簡にして要を得ている(簡潔でありながらも要点をつく)、現在でいえば一種の電報用語だが、この中に三つの要件があらわれている。「火の用心」「おせん泣かすな」「馬肥やせ」である。これだけ切りつめた用語の中に四分一以上も占める冒頭の礼詞「一筆啓上」は少々長たらしくも考えられるが、これは今でいえば「拝啓」か「前略」でいいわけで、それを一筆啓上としたところに、規代とは遠くかけ離れた昔の武士気質がうかがわれる。武士は食わねど高楊子という今と違った観念に支配されていた時代で、礼儀作法はとりわけやかましかったものである。またしかしこの手紙文からこの一筆啓上を取り去ってしまったら、支柱を失った建物のように、あとの文章が全く精彩を欠いてしまうのも面白い。いかに用事の手紙だからといって、このような場合、やはり最初の挨拶語が礼儀と同時に、全体の文章を生かし、文学的に髪かたちの整いをあらわしているわけである。

「一筆啓上せしめ候。古歌に曰く、きょう見ずば悔しからまし花盛、咲きも残らず散りも始めず」

これは謠曲「鞍馬天狗」の中の一こま。花見に誘う手紙文で、鞍馬の西谷から東谷の僧坊に送ったもの。花は見頃になったからと単なる案内状だが、簡潔な語法の中に意味深長な内容をふくめてある。しかも古歌一首を用いて文章をたち切った余韻など実にいい知れぬ趣きを発散させている。

さらに実用文であると同時に文学的な要素と、高い気品の漂う中にその人の位置と境遇を織り込んだ天下の名文がある。

「新麦一斗、たかんな三本、油のような洒五升、南無妙法蓮華経と回向<えこう>いたし候」

これは日蓮聖人が或る信徒からの供養に対する礼状であるが、まことに愛誦<あいしょう>すべき名文だと思う。

「たかんな」というのは笥のこと。

「新麦一斗、笋(たかんな)(笏のこと)三本、油のような洒五升というは富貴の沙汰なり。蕎受粉一重、小遣銭二百文、かたじけなく存じ参らせ候」

前の名文をたくみに応用して後世の俳人芭蕉は、このような手紙を書いている。以上の二つとも何れも礼手紙には違いないが、心にくいばかり文章と精神が渾然と融け合っているところによくよく注目しなければならない。こうなると手紙とはいえ、おろそかに出来ない人間と人間との尊い心のつながりが感じられ、実に生きているという人生の喜びがこんこんとあふれ出てくるようである。

「ああ降ったる雪かな、ちょっと御見舞申上げ侯、三十一日夕」

これは時代もぐっと新しく。明治の文豪尾崎紅葉が佐々木信綱愽士のもとへ送った見舞状で有無相通ずる文学の友同志でなければ書けない文章である。「ああ降ったる雪かな」は謡曲「鉢の木」の一ふしをうまく利用したものであるが、古人の旬や有名な文句を借用するのも、ここまでくると矢張り一つの立派な創作である。

「郭公(ほととぎす)厠(かわや)半(なか)ばに出かねたり」

この一旬はこれも文豪夏目漱石の面白い挨拶状である。これには少し詳しい説明を必要とする。明治、大正、昭和とつづいて重臣の最後の一人であった西園寺公望公が明治の末期に雨声会という名の会を催しその頃の名だたる文筆家を招待したことがあった。今でこそ文化人が天皇を囲んでいろいろ歓談などする機会もあるが、その頃政界の大御所と文筆家が席を同じゅうして話し合うなどあり得なかったのだが、風流を解する西園寺公が破格にも自ら主人役となっての会合なので、ここに出席することはいわば一種の名誉であり光栄でもあったに違いない。一方、漱石という人も博士号(文学博士)を授与したところこれをキッパリことわったような変ったところのある人で、丁度その頃「朝日新聞」に連載小説を執筆中だったのでほんとに出席する時間もなかったのか、とにかく「……出かねだり」の一句を送って欠礼の挨拶としたのだった。これは俳句であってもハッキリ断り状で、まさに実用をかねた手紙といえるであろう。

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